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WORLD of TANKS 
ホリディ―作戦2024期間中にGET!した車輛のラインナップ!(ヴィニィーミッション達成により割引になった車輛/課金車ではなく すべてホリディ―作戦2024期間中に稼いだ戦闘EXP・クレジットでGET!)

全ミッション制覇(各tier車輛:購入割引適用)!
今回はチェコスロバキア戦車を中心に、あとは駆逐戦車狙いでGET!

全ミッション制覇による報酬!

Battle TierⅡ チェコスロバキア軽戦車
LT vz.35
1935年にチェコのŠkoda社によってロールアウトした戦車。1939年にはチェコがドイツに編入されたことに伴い、ドイツ国防軍に納入された。ドイツではPz.Kpfw.35(t)と名付け、Ⅱ号戦車よりは戦力になると歓迎された。当時としては最先端技術と言える空気圧作動変速機とブレーキ機構は、操作性を軽くしたものの、初期には故障が頻発した。そのため量産は続けられず、足回りを見直した改良型の戦車が開発されたが、ČKD社のLT vz. 38に敗れ主力戦車の座を譲ることとなる。



戦闘EXP 0☆
購入クレジット3,900C→0C(100%引)




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Battle TierⅢ チェコスロバキア軽戦車
LT vz.38
ČKD社の設計グループが1938年に開発したこの軽戦車は、ドイツ国防軍に38(t)戦車(Pz.Kpfw.38(t))という名称で配備されていました。本車はチェコスロバキアにおける最高の車輌とみなされており、8種類の型で1942年まで合計1,400両が生産され、一部はドイツの同盟国であるハンガリー・スロバキア・ルーマニア・ブルガリア等にも売却されました。リベット装甲とリアエンジンというよくあるWWII以前の構造です。装甲厚はほとんどのバージョンで10mm~25mmですが、Ausf. E以降は前25mm横15mmの追加装甲(計前50mm横30mm)が装備されました。125PSのPraga Typ TNHPS/II 液冷6気筒ガソリンエンジンを搭載。中央に配置された2名用の砲塔には37 mm Skoda A7主砲が装備され右側に7.92mm機関銃を装備していました。操縦手は車体右側で、左側の前方機銃手(無線手を兼任)は7.92mm機関銃と左に配置された無線機を操作しました。




戦闘EXP1,055→ 0☆(100%引)
購入クレジット43,500C





ガルパン(アニメ)

WOT戦車/ガルパン仕様




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Battle TierⅢ チェコスロバキア軽戦車
Pzw.39
本車両はチェコスロバキアのČKD社によって設計されたLTLと呼ばれる輸出用戦車で1937年にスイスが24両を購入しPanzerwagen 39として1939年に配備された。(うち12両はスイスで生産された)主砲として24㎜戦車砲、7.5㎜機関銃2門を装備していた。主砲はスイス製の対戦車ライフル「24 mm Tankbüchse 41」を改造したものが流用された。本車両は4両ずつ6つの分隊に分けて配備された。第二次大戦中スイスは中立を保ち、実戦投入されないまま1940年代末には訓練車両に転用され、1960年まで使用された。1941年には火力不足が懸念されたことから対戦車砲から流用された47㎜砲を装備する新型砲塔車両が試作されたが、車体の改造無しで搭載できることという条件をクリアするのが難しく、1945年時点でようやく木製のダミー砲身を取り付けた砲塔がテストされている段階だった。この時点で既に47㎜砲でも貫通力不足は目に見えており、改修計画は中止された。

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ST vz.39
CKD V-8-H の開発は 1936 年 10 月に始まり、シュコダとプラーガが最終的にハンガリーのトゥラン シリーズ戦車に発展する別の試作媒体 ŠP-II-b の開発に取り組んでいたのとほぼ同時期でした。1930 年代にはチェコスロバキア企業間の協力関係が高度化し、これらのプロジェクトの多くがコンポーネントや設計を共有して迅速な開発につながり、最初のプロトタイプが準備が整い、1937 年の夏に工場テストが実施されました。軍とのテストは 12 月に実施される予定でした。 1937年にミロヴィツェで行われたが、CKDと軍関係者の両方によると、そのような検査は行われなかった。


戦闘EXP4,600→ 0☆(100%引)
購入クレジット151,000C






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Skoda T24
ドイツ占領下のチェコスロバキアにおいて、ドイツ国防軍用として 1941 年に開発されました。本計画は、ソ連の T-34 戦車を参考として傾斜装甲板と先進的な兵装を備えるものでしたが、時代遅れと判断されたため、試作はされませんでした。

戦闘EXP 12,380☆→0☆(100%引)
購入クレジット380,000C




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Battle TierⅡ ソ連軽戦車 T-60
T -60 はソビエトの軽戦車で、水陸両用の T-38 偵察戦車の代替として 1930 年代後半に開発されました。設計者ニコラス・アストロフを中心としたチームは 1938 年にモスクワ第 37 工場で戦車の設計を開始し、T-38A および T-38B と呼ばれる 2 つの試作車が製造されました。前者は T-40 軽水陸両用戦車として 1940 年から製造されました。T-60 は、ドイツ軍のソ連攻撃後、工場で十分な T-34 や KV 戦車が生産できるようになるまでの一時しのぎの戦車と考えられていました。T-60 は T-40 のシャーシを使用していましたが、より厚い装甲保護のために浮遊機能を放棄しました。T-60 は当初 12.7 mm DShK 機関銃を装備する予定でしたが、軍はより強力な武装を要求したため、代わりに 20 mm TNSh 大砲が選択されました。TNSh は航空機 ShVAK 大砲の戦車バージョンであり、そのため貫通力が非常に低く、500 m で 15 mm の装甲しか貫通できませんでした。このような砲の特性は、ドイツの新型装甲強化戦車と交戦するには十分ではなかったため、T-60 は歩兵支援戦車の役割に移されました。T-60 は、後にT-70戦車となる、砲撃と装甲が強化されたバージョンのベースとして機能しました。T-60 は戦争全体を通じて活躍し、ルーマニアは鹵獲した 34 台の T-60 を自国の TACAM T-60 駆逐戦車に改造しました。






戦闘EXP 0☆
購入クレジット3,300→ 0C(100%引)





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Battle TierⅢ ソ連軽戦車
T-70は、T-60の代替として開発された軽戦車である。1942年1月、T-60の武装と装甲を強化する目的で開発が開始され、初期案では37mm戦車砲ZiS-19を搭載する予定であったが、生産性等の問題から、ZiS-19の機構を取り入れた45mm砲ZiS-19BM(後に20Kmと改称)に変更され、これはT-60-2またはオブイェークト062として完成した。さらに装甲の強化、転輪の増設、エンジンの換装といった車体の改修を加え、1942年初夏にT-70は完成、量産に移ることとなった。T-70は改良型のT-70Mを含めて、1943年10月までに8,226輌が生産されたが、戦車戦や歩兵支援にこのクラスの戦車を用いることには無理があり、前線からの評判は芳しく無かった。シャシーを流用した派生車種には、76.2mm野砲ZiS-3を搭載した自走砲SU-76、37mm対空機関砲M1939を回転砲塔に搭載した対空自走砲ZSU-37などが存在する。


戦闘EXP1,150→ 0☆(100%引)
購入クレジット39,300C





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Battle TierⅣ ソ連駆逐戦車 SU-76M
ソ連Rank1二番目の駆逐戦車。装甲や砲の口径、弾の種類はZIS-30より上だが、肝心の砲撃能力は低下している。しかし、同BR帯の戦車であれば十分な威力を期待できるだろう。仰角は25°と十分だが俯角は3°しかとれないのでなるべく平地や敵が下方にいない場所で戦うことを心掛けたい。防御面に関してはT-70軽戦車の車体を使用していることから若干の装甲はあるものの十分とは言えない。



戦闘EXP3,900→ 0☆(100%引)
購入クレジット135,500C





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Battle TierⅤ ソ連駆逐戦車 SU-85


戦闘EXP12,500→ 0☆(100%引)
購入クレジット414,000C



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Battle TierⅢ ドイツ軽戦車
Pz.Kpfw.Ⅱ Ausf.G
戦闘EXP 0☆
購入クレジット3,970→ 0C(100%引)

速力向上に主眼を置いたII号戦車の発展型。量産計画は中止され、結局12輌のみ作られたが、部隊配備された記録はない。本車用に作られた砲塔で余った物は、要塞陣地のトーチカ用に転用された。





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Battle TierⅣ ドイツ駆逐戦車 Jagdpanzer Ⅳ
戦闘EXP31,100→21,770☆(30%引き)
購入クレジット910,500→ 364,200C(60%引き)



1942年9月、ドイツ軍当局は東部戦線の戦訓に基づき、より強力な対戦車火力を持つ突撃砲を開発することを決定した。IV号戦車の車体を利用した突撃砲を開発することが決まったのは1943年1月で、IV号駆逐戦車と名付けられたこの車両は1944年1月から量産が開始された。この駆逐戦車(Jagdpanzer)という呼称は本車両で初めて使用されたもので、従来のPanzerjagerの呼称に代わるものである。







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Battle TierⅥ ドイツ駆逐戦車
Nashorm
戦闘EXP26,500☆
購入クレジット905,000C

1941年のバルバロッサ作戦で赤軍の装備していたKV-1・T-34の前に対戦車兵器の威力不足が露呈し、戦車自体は劣っていたドイツだったが、兵士の練度で何とか優位に立っていた。この時の経験からソ連戦車を破壊出来る新たなPanzerjager(対戦車車両)の必要性を感じていた。1942年2月、アルケット社は同年に自走砲専用に改良したPz.Kpfw.III/IVの車体を利用して新型駆逐戦車の開発を始めた。主砲はPz.Kpfw. Tiger II用に開発された8.8cm KwK 43 L/71を搭載予定だったが、8.8cm PaK 43/41を自走砲用に改良した8.8cm PaK 43/1が採用された。しかし足廻りの重量の関係から装甲はあまりにも薄く、砲面前に10mmの防盾。前面装甲も30mmで、当たれば操縦席は即死と言われていた。オープントップの戦闘室周りで装甲板は僅か10mmの為、搭乗員はほぼ無防備に近い状態だった。この為、接近戦に持ち込まれた車両の中には、搭乗員が逃げ出してしまったという記録すらある。装甲と引き換えに8.8cm PaK 43/1の威力は非常に強力で、1000mの距離で165mmの装甲を貫通する事が可能であった為、予定通りアウトレンジからの敵戦車撃破という目的を達成した。同年10月にプロトタイプが完成しヒトラーから承認され、1943年初頭の生産指示がなされた。与えられた制式名称は8.8cm Pak43 (L/71) auf Fahrgestell Panzerkampfwagen III/IV (Sf)。または8.8cm Pak43 (L/71) auf Geschtzwagen III/IV と呼ばれたが主にPanzerjager Hornisse(ホルニッセ 英語ではホーネット、ドイツ語ではススメバチと読む)の愛称で呼ばれた。新型車両である中戦車Pz.Kpfw.V Panther、自走砲Hummel、駆逐戦車Ferdinandと共に1943年7月4日、クルスクの戦い(ツィタデレ作戦)に実戦投入され、第655重戦車駆逐大隊に配備された。1943年中頃には改良型が導入され前面装甲が30mmになったが初期型と全く見分けは付かず、それでも薄い装甲は意味をなさなかった。Hornisse(後のNashorn)は1943年~1945年までに計494両が生産された。余談ではあるが1944年2月27日、ヒトラーにより自走砲Hummel、Panzerjaeger 8.8 cm auf Panther I(後のJagdpanther)と共に名称を変更され、新たにNashorn(サイ)と命名された。







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Sturer Emil
戦闘EXP43,400☆
購入クレジット1,300,000C

シュトゥーラー・エミール (Sturer Emil: しぶといエミール) という1942 年の夏から秋にかけて南部戦線で実戦テストされましたが、その結果として数々の問題点が明らかとなり、量産には至りませんでした。1941年3月、開発中止となったVK 30.01(H)の車体を利用して、主砲に高射砲である12.8cm FlaK 40を対戦車用にラインメタル社が改良した12.8cm Kanone 40 L/61を搭載する事が決定した。この大型のカノン砲を搭載する為に車体は延長され、砲塔が装備されるはずだった部分には代わりに大型のオープントップ式戦闘室が設けられ、エンジン前方の台座の上に主砲が設置された。ただ、現存写真からは改造の跡も見られず、また後部形状も変更されており機関部の配置も違うので、実際は新規に製作されたのではないかと思われる。1941年8月~1942年3月にかけてラインメタル社によってプロトタイプが2両製作された。こうして完成した車両は12.8cm Selbstfahrlafette L/61(Panzerselbstfahrlafette V)と名付けられた。この2両はドイツの画家にして詩人ヴィルヘルム・ブッシュの絵本である『マックスとモーリッツ 七つのいたずらの話』の主人公であるマックス、モーリッツの愛称を付けられたが、俗称としてのSturer Emil(頑固なエミール)が有名であるが、マックスに付けられたのかモーリッツに付けられたのかは不明である。1942年6月28日から開始されたブラウ作戦に実戦投入され、第521戦車駆逐大隊に配属となった。それぞれの運命は異なり、第521戦車駆逐大隊に配属され、そのまま残った車両は1943年1月、スターリングラード攻防戦で無傷でソ連によって捕獲され、第521戦車駆逐大隊から第2装甲師団第38装甲猟兵大隊に配属されたもう1両は1944年半ばにソ連の爆撃によって破壊された。




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Battle TierⅧ ドイツ軽戦車
Rhm.-Borsig Waffentrager
戦闘EXP71,000☆
購入クレジット2,400,000→1,440,000C(40%引き)



ラインメタル・ボルジッヒ社により、特殊な砲運搬車として開発されました。砲を車体に搭載したままでも、砲を車体から下ろしても砲撃可能であるように設計されていました。サスペンションは、駆逐戦車ヘッツァー (Hetzer) のものを採用。開発は 1942 年の終わりから 1944 年の中盤まで続けられましたが、設計の複雑さ、高コスト、重量過多によりアルデルト社の計画が好まれたため、本計画は中止されました。





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Battle TierⅣ イギリス中戦車
Matilda
戦闘EXP 0☆(100%引)
購入クレジット140,000→0C(100%引)



1936 年から 1938 年にかけて開発され、1943 年 8 月までに計 2987 輌が生産されました。イギリス軍としては唯一、第二次大戦の全期を通じて就役を続けた戦車です

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Battle TierV フランス軽戦車
AMX ELC bis
戦闘EXP44,900→0☆(100%引き)
購入クレジット315,000→157,500C(50%引き)

本車は、フランス軍の空挺部隊のために、空輸可能かつ重戦車との交戦能力を有する車輌を提供することを目的として、1957 年から 1961 年にかけて開発されました。90 mm 砲を搭載しつつも、その車高は極めて低いものでした。砲塔内に 2 名の搭乗員を配置しており、この砲塔は 360 度旋回が可能だったものの、それは車輌が静止中の場合に限定されていました。搭載主砲が異なる複数の型が計画され、試作車が 1 輌のみ生産されました。部隊配備には至りませんでした。


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Battle TierⅤ アメリカ重戦車
T1 Heavy Tank
戦闘EXP 14055→0☆(100%引き)
購入クレジット435,000→87,000C(80%引き)



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Battle TierⅥ アメリカ重戦車
Battle TierⅦ アメリカ重戦車
T1 Heavy Tank
戦闘EXP 14055→0☆(100%引き)
購入クレジット435,000→87,000C(80%引き)



アメリカで 1940 年 5 月に開発が開始された T1E2 は、重戦車として分類されました。鋳造車体と、ダブルディスク油圧変換器を備えた静油圧・機械式変速機を採用している点が特徴的でした。最終的に M6 として正式化され、実験的車輌 1 輌を含め合計 9 輌が製造されたものの、実戦投入はされませんでした。



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Battle TierⅥ アメリカ重戦車
M6
戦闘EXP27,850→23,673☆(15%引き)
購入クレジット885,000C


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戦闘EXP27,850→23,673☆(15%引き)
購入クレジット885,000C

1940 年 5 月からアメリカで開発されていた重戦車の派生型のひとつでであり、鋳造の車体と、2 ディスク式の油圧コンバータを備えた油圧・機械式サスペンションを採用していました。本車は 1942 年 5 月 26 日に正式化され、合計 9 輌 (量産型 8 輌、試験型 1 輌) が製造されたものの、実戦参加の機会はありませんでした。



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Battle TierⅦ アメリカ重戦車
T29
戦闘EXP42,070☆
購入クレジット1,450,300→725,150C(50%引き)



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戦闘EXP42,070☆
購入クレジット1,450,300→725,150C(50%引き)



この試作重戦車の開発は 1944 年に開始され、1947 年に 105 mm T5E1 砲を搭載する試作車輌が製造されました。しかし戦後においては重戦車の量産は不合理であると判断されたため、試作車輌が若干数製造されたのみに終わりました。







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ホリデー作戦2024より






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【おまけ】

Battle TierⅨ アメリカ中型戦車
Pstton The TANK
ヴィニィーからのXmasギフト!
ヴィニィーからのXmasギフト!




《M48A2》から派生した車輌の1輌で、《T54E2》の砲塔と《T123E6》の120 mm砲が搭載されている。1958年、プロトタイプによる比較試験が実施され、集められたデータは、アメリカの新型中戦車《XM60》の兵装を決めるために使われた
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【おまけ】
Battle TierⅨ アメリカ重型戦車
AE Phasel
アニバーサリー2023/トークン用アイテム
アニバーサリー2023/トークン用アイテム
(15トークン)にてGET!





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1951年に開始された開発計画。履帯を4つ用意することにより、直径の大きな砲塔リングを搭載し、また2つの履帯が損傷した場合でも移動を可能にすることが意図された。本計画の始動後、アソシエイテッド・エンジニアーズ社 (Associated Engineers, Inc.) が第2案として履帯駆動装置を両側に1つずつ備えた別のモデルを開発するよう要請を受け、試作には至らなかった。



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